私がIntegrated Healingに出会うきっかけは
2015年の冬、
スタジオヨギーで開催されていた
いず美さんのクラスに参加したことから。
そのクラスの中でいず美さんが
参加者の方の筋反射を確認する場面があり、
その精度と導き出されたあまりにも深いメッセージに
体中に激震が走るような衝撃を受け、
Integrated Healingセッションを受けたこともないのに
「これは私が将来やりたい仕事だ!」と確信し、
2016年秋にサンディエゴで開催される
Integrated Healingプラクティショナーコースに参加しました。
そのプラクティショナーコースの中で
沢山の心に残るセッションを受けてきて、
潜在意識から在りたい姿に変わっていった時
望む方向へ現実も大きく変わるのだということを
私自身がまさに体験してきました。
なので、心に残るセッションは
挙げだしたらキリがないのですが、
その中でも今回は私がIntegrated Healingが
天職であることを確信できた、
心に残る大切なセッションをシェアしたいと思います。
それは去年の夏、
箱根でプラクティショナー仲間である
麻由ちゃんにしてもらったセッション。
セッションを始めるタイミングになって、
セッションのテーマを決めてなかったことに気付きました。
思いつく身近なテーマを挙げてもどれも筋反はとれず。
そんな中ふと思いついた「使命」という単語に筋反がとれました。
実は私もこの時なぜ「使命」という単語が
出て来たのか不思議なのですが、
IHをやっていると潜在意識からふと沸き起こって、
言葉が出てくることが結構あるのです。
そしてセッションをしてくれている
麻由ちゃんに話したのが
過去から現在に続く、
私のカソリック学校で受けた教育の影響と
(良いも悪いも全て含めて)
旅行で訪れたイタリア/アッシジでの大きな気付き。
そのアッシジでの大きな気付きを経た今、
私はIntegrated Healingを通して
本来の人生の目的を思い出し、
そこに向かって生きることで
内から湧き出る愛や幸せや豊かさを感じられる人を
増やしていきたいこと、
そして1人1人が生きる喜びで光り輝く
世の中を作っていきたいこと、
その為に自分自身に強化できることや、
心のブロックがあるのであれば
それをこのセッションで修正していきたいと話しました。
「ブロック」ではなく「強化」で筋反がとれ、そして在りたい姿、ゴールを決めることに。
「ちょっとね、こんなこと言うの畏れ多いのだけど・・・」
「ゴールは“私は神さまの平和の道具として生きていきます”でどうかな?」
そのゴール設定で筋反がとれた瞬間、
自分の使命を改めて感じ、そして過去の経験も含めて
全てがここに繋がっていたんだと思うと、
感謝と喜びで涙が止まりませんでした。
そして出てきた修正は「Self Empowerment」
筋反がとれた通り、自己強化。
「だって、リンダちゃん。こんなこと言うの畏れ多いって言ってたもんねー。もうその準備は整っているはずなのに。」
とセッションを見守っていてくれた仲間の言葉。
で、自己強化の為に潜在意識から出てきたのは
「自己犠牲に対するプログラミングを外す」でした。
私にとっての神さまの平和の道具として生きることは
特定の宗教に属することでもなく、
マザーテレサやガンジーのような
すごい人になることもなく、
もちろん、今までの教育で私が勘違いをしてきた
「自己犠牲」でもなく、ましてや「品行方正」だったり、
「清貧」ということでもなく、
自分の生まれてきた人生の目的を思い出し、
「不要な信じ込みや」「世の中の体裁や周囲からの評価」
といった自分のエゴを捨てて、
誰よりも自分自身を愛と幸せと豊かさで満たして、
そしてその身体を使って人生の目的を果たしていくこと。
そして
それが私にとっては
Integrated Healingセッションを
していくことなのです。
自分の余計なエゴを捨てて、
誰よりも自分自身を愛と幸せと豊かさで満たして、その身体を使い、
Integrated Healingを通して
もっともっと多くの人が生まれてきた人生の目的を生き、
内から溢れる愛や幸せを感じられるように
神さまの平和の道具として生きていこう。
そんな素晴らしい覚悟をすると同時に
これがあなたの神さまの平和の道具として生きる
天職なのだよと教えてもらったような、
心に残る、喜び溢れるセッションでした。
そして最後に。
私の大好きな
アッシジの聖フランシスコ
平和を求める祈りで締めたいと思います。
主よ、
わたしを
あなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに
喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、
わたしが求めますように。
わたしたちは、
与えるから受け、
ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。
ー聖フランシスコ 平和を求める祈り